ブログネタ
医学まるかじり に参加中!
『医師アタマ』なる本を知った!


読みたいが、憚れるよね。

医師なる存在が、昔、昔には乳がんを
『岩』と言った。それが、癌、乳がんの
始まりらしい。私は『硬がん』だった!?


さて、そんな『岩』になった私の左胸は
『胸筋』だけになり、癌は手術をし治療
した。が、そんな私の右乳房は柔らかい…。


その柔らかい乳房は、一つしかないから
右肩が凝るのだ。が、機転が利かない
やぶ医者は、左胸の乳がんだから

右肩や右胸や右腕が凝るわけが無い、
張るわけが無い、と申された(赤十字で)。


そんな医師を、情けなく悲しく思う癌の
患者は、考えて病院に行かなくする。

つまり、ストレスを感じなくすることを
『クオリティーオブライフ』と思うからだ。


『クオリティーオブライフ』は、がん医療、
癌の患者にとって『良質である日常』を
表し、また『人間らしく生きること』を
意味する。


人として、『取り組む権利』のこと。

やぶ医者に、ハラスメントを受けては
生きれない。乳房を無くした癌患者を嘲る
内科医。これは、医療の破綻した姿である。


私には、そんな現代の医療機関の現実が
恐ろしく『危険なテロ』に見えてしまう!


ここに紹介するのは、人間らしい医療。
人間の為の医学の在り方である。


医学書院からご紹介を…。



医師アタマ

医師と患者はなぜすれ違うのか?

編集:尾藤 誠司

判型 A5頁 220発行 2007年03月
定価 2,376円 (本体2,200円+税8%)
ISBN:978-4-260-00404-6


医師も患者もハッピーに! 
医療コミュニケーションの突破口をひらく

EBMを学ぶほどに陥った混乱――
「患者にとって常に有益な医療サービスなどない」
「ニュートラルに医療情報を伝えるのは難しい」。
医師のなかでは当たり前な考え方も患者には
極端で奇天烈なものかもしれないと考えた
著者らが、論理的にevidence‐basedに、
医師と医師以外の世界の違い、医師の思考
過程の特殊性に迫る。医師と患者がともに
最善の選択を探すうえで必要なもの、医師も
患者もハッピーになれる医療がここにある。







✒序文

執筆者/尾藤誠司 

 本書を手に取っていただいてほんとうに
ありがとうございます! 

笑劇的なタイトル,ですが,まじめに
21世紀の医療を考えて書いたつもりです。 
(中略)

本書は,
明確に「コミュニケーション」を扱っている
本だといってよいでしょう。しかしながら,
多くの医療コミュニケーションに関する本が,
どのように話すべきか,何について説明する
べきか,という実行上のコミュニケーション
について解説していることに対して,本書では
実行上のコミュニケーション技法についてほと
んど扱っていません。医療に関する患者-医療
者間のコミュニケーションにおける最大の問題
点は,医療者,とくに医師が一様にもっている
事実の認識の仕方,そして,その事実に対する
価値観にあると考え,そこに焦点を当ててみた
わけです。すなわち,それが私たちが本書の
テーマとしている「医師アタマ」なわけなの
です。(中略)

「医師アタマ」とはなんでしょうか? 
端的にいうのであれば,「世界は,正しいこと
と間違ったことから成り立っている」という
考え方,そして「正しいことは,すべての人に
とって正しいものであり,間違っているものは,
すべての人にとって間違っている」という考え
方が,医師のなかでは確かにあるということです。
自然科学としての医学がもつ業のような思考と
そのプロセス,それを私たちは「医師アタマ」
と呼ぶことにしました。  




目次


第1章 医師の頭の中は「イシアタマ」である 

 今こそ医師アタマの考察と反省を 
 異文化コミュニケーションとしての患者-医師関係 
 医師アタマを変えてしまえ! 


第2章 医師アタマにとっての「病気」と「健康」 

 「健康」とは何か? 
 病人と正常人の境目 
 コミュニケーションの道具としての病名 
 「治る」と「治す」―かぜの抗菌薬問題 


第3章 医師アタマが描くプロセス 

 エビデンスに基づいたあいまいな判断―医学的根拠と医師の立場 
 引き算で得る安心―鑑別と除外診断のプロセス 
 医療における時間の感覚 
 悪くなったのは誰のせい?―因果の迷路 


第4章 医師アタマにとって大切なものとそうでないもの 

 王様は病態生理 
 「西洋医学でないものはうさんくさい」はどんな根拠に基づくのか? 
 アウトカムと人生の折り合い 
 医療における「よいこと」について 
 医師は誰のことを考えて診療しているのか?―医師にとってのお金 


第5章 医師アタマと患者 

 医師の判断と患者の決断―Shared decision makingにおける諸問題 
 診療ガイドラインは何のため? 
 医師と患者は友達であるべきか? 
 傷害としての医療 


第6章 医師アタマの医療はどこに向かうのか? 

 患者にとっての「専門家」と医師のなかでの「専門家」 
 祈りに効果はあるのか?―医療と宗教 
 医師は「偉い人」であるべきか? 
 医療は本当に人の役に立っているのか? 
 愛のシステム―「患者中心の医療」から「患者とともに考える医療」へ








ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村



ー補足ー


『医学』は、医術であるところに存在する
学問である。教育現場にある学問では、

教師が存在する。教師は、学術的な指導を
している。が、その教師は1対多数という
教室における指導者であるが?


医師は、1対1により成り立つ診察室に
おける人間関係にいる医療従事者である。

多数いる患者の中にいて、『個人』たる
依頼者に対するというのが、医学者である。


医師は、病気の『解明』をし、『治療』を
する人だ。国立病院では『文部科学省』に
属した、『文部科学技官』である。


なるべくなら、『文部科学技術』という
医療を、患者には正しく適切にアドバイス、

レクチャーをして頂きたい。知らないこと、
分からないことは恥ではないが、知らない、
分からないことを、『患者が悪い』とか?

『…であるはずがない』等と、決めつけて
欲しくない。副作用も患者により異なるし。
人ひとりひとり、同じにはならない。


何故ならば、医療とは、がん治療にしても
『オーダー治療』と言われている。


患者が10人いたら、その人、 その患者さん
とは、10人が全て同じ人体を備えてはない
し、同じ遺伝子を持ってはいないからだ。


医師に頼りに行かなくてはならない患者に、
医学を知らない患者に、正しい道案内を?
『文部科学技術』たる医療を、指導して

人間たる『肉体』を生きやすく、自然体に
生きれるよう、レクチャーをして頂きたい。


それが、鈴木千生が医療機関にかかり、
また、加療を要しながら医療機関にかかる
ことなく、ドクターハラスメントを避け?

テロリズムさながら、医療従事者から受け
続けてきたハラスメントに、耐えた12年の
想い、いのち懸けの、遺言(生きた記録)
となった体験記録なのである。


鈴木千生は、鈴木霄として12年生きた。
遺言(生きた証を記録)をし続けた癌
患者である。