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『余白』を知らない人は、

精神疾患になりやすい。そうして
『自分の環境』に自分を見失う。


『余白』を、スペース、隙間、余り、
オマケと考えれば、分かりにくい。


『病院』に入院します。病棟、病室から
出なくなると、『余白』が無くなる。

学校に『通学』します。学校まで徒歩だと
違う学校を知らなくなります。『余白』を
持たない、知らない人になります。


『余白』を嫌う人は、無知をひけらかすと
自分より『詳しい人』を妬みます。つまり、

『負けたくせに、誤魔化したランナー』に
似ていく。『走ったふりをした人』みたい。


『余白』は、『走ったことがある場所』が
ある。が、『歩いた場所もある』という。

その間にある、『自分の家の周り』のこと。


ところが、車に乗る人は『余白』を見ない。

簡単に言うと、足跡をつけないで目的地に
行ける、という小ずるさを発揮しちゃう人。


玄関から外に出て、自宅の周りで自分の
足跡を残さない人。幽霊みたいな人!?


歩かないと、生きていないみたい。

玄関から駐車場まで歩くだけ。家の外で
自分の自宅の周りで、自宅の外出や帰宅
というものを記録にしない生き方の人!?


人間は、サラリーマンは、一流企業にいる
人間は、その足跡を残さないと働けない。

人間には、自分の足跡を残さないと生きた
証にならない、という不思議な世界がある。


サラリーマンの、営業成績に比例しない
日常は、歩いたけど数字や形に出ない時間。


政治家さんは、足跡を残さないと仕事をして
いたことにならない。政治家さんは足跡だけ
残すように、毎日毎日を生きている。

だから、いた場所や行った場所は、
生きてる生身の姿の記録でしかない。


とにかく、政治家は、あちこちに姿をだし
あちこちに挨拶し、あちこちを歩いてる。

だから、議員には犯罪をしたら政治家が
やれなくなるくらい、身元が重要なんだ。


『余白』というのは、自分の一日や
自分の人生に、記録出来ない場所や空間
というのを持つことでなく、例えばね?

病院で手術室にいて、麻酔をかけてて
寝ている間に、手術をしていたり?

学校で、体育館にいて校庭にも教室にも
いない時間や、例えば、クラブ活動をし
校外に活動に出かけているとか。


人間には、自分の意思ではない場所にいて
『余白』を作る社会的なスタイルがある。

例えば、病に倒れて救急車に乗るとか?
意思ではない場所や、空間に居る時がある。


分かる人は、自分の『余白』にも
いのちがあり、そこではドラマがある
と分かります。『余白』は、優しいと

『大切な思い出』になる。誰かといた場所、
誰かに通じた場所、誰かと共有した場所!


自分の余白は、哲学をします。
自分とは、何者か?

それを明らかにしている人には
哲学がある。知性というスタンスの。


精神疾患があると、余白を嫌います!

脳にダメージがあるとか、テロリズムに
傾倒している人には、余白が不足します。


だから、同じことを繰り返して不安や
迷いや、飢餓感が無い。飢餓感を持たない、
不安を抱かない人は、哲学をしなくなる!


哲学をしない人は、歩けないんです。
自分自身の物語を語れないんです。


記憶を、記録を嫌うと人間は精神疾患に
陥り、自分自身の物語を生きれないの!


自分という物語を、生きることを
『歩く』『考える』『取り組む』『体験』
と言います。社会参加とは、経験のこと。

経験する為に、人間は『歩む』のです!


哲学をするということは、生きること。



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